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東京地方裁判所 昭和40年(ワ)7810号 判決

原告

内海沙江子

訴訟代理人

和泉芳郎

被告

吉川キン

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  申  立

(1)  請求の趣旨(原告の申立)

一、被告は原告に対して、(イ)別紙物件目録第一に記載の土地を、同目録第二に記載の建物を収去して、明け渡し、かつ、(ロ)昭和四〇年六月二二日から右明渡済にいたるまで一か月金二、〇〇〇円の割合による金員を支払え。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言。

(2)  被告の申立

主文と同旨の判決。

第二  主張と答弁≪省略≫

第三  証拠関係≪省略≫

理由

一原告が本件土地の所有者であることは当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すると、原告は昭和二五年八月一八日頃訴外奥村正雄に対して本件土地を賃貸したが、その際右当事者間において「賃借人は本件土地のうえに工作物を新築し、または現在工作物の改築、増築もしくは変更工事をするに際しては、賃貸人の書面による承諾を受けねばならない」旨の特約条項が成立し、かつ右訴外人が原告の実父であつて該土地の管理にあたつていた訴外内海工に対し右趣旨の記載のある書面(甲第五号証)を差し入れたことが認められ、右認定に反する証拠はない。原告はそのほか、「賃借人が右特約条項に違反したときは直ちに契約を解除することができる」旨の特約条項が成立していたと主張するが、本件全証拠によつてもこれを認めることができない。しかして、右訴外奥村が本件土地のうえに別紙物件目録第二に記載の建物(ただしその頃は平家建、建坪一三坪)を建築しこれを所有していたことは当事者間に争いがない。

つぎに被告が昭和二七年一〇月頃右訴外奥村より前記建物を買い受けるとともに、その敷地たる本件土地の賃借権の譲渡を受けたことは当事者間に争いがなく<証拠>を総合すると、被告は右訴外奥村より建物を買い受け、かつ本件土地の賃借権の譲渡を受けたことを原告に秘匿し、当初はあたかも右訴外人の留守番として居住するかのように装つていたが、その後一年ばかり経つてから、原告がこれを知り紛争を生じたが、当事者間で種々折衝を重ねた末、結局原告において右賃借権の譲渡を追認したことが認められる。

原告は右のようにして追認した被告の賃借権にもその主張のごとき特約が承継されたと主張するので、これを審究するに訴外奥村正雄との間の賃貸借契約における特約の内容が前示認定の範囲にとどまり、右特約に違反したときは直ちに契約を解除しうる旨の後段の約定の存在が認められないこと前示のとおりであるから、右主張のうち後段の特約なるものを被告が当然に承継するいわれはなく、また被告が賃借人たる地位を承認された後、原告との間にそのような特約をしたことを認めるに足る証拠はない。しかして、被告は本件賃借権には右特約前段のごとき事項が付せられておらず、これを承継した事実もないと争うが、一般に賃借権の譲渡がありこれを賃貸人が承認したときは、右譲渡を承認する際とくに旧賃借人との間の賃借条件と異なる約定をしない限り、新賃借人がそれを明確に認識したか否かを問わず、旧賃借人と同一の賃借条件をそのまま承継するものと解するのが相当である。本件についてこれをみるに、全証拠を精査してみても、原告が被告の賃借権を追認した際に旧賃借人である訴外奥村正雄との間の賃借条件と異る特約をしたことが認められず、しかもその後においても訴外奥村との間に成立していた賃借条件を変更する旨の合意が原被告間に成立した事実を認めうる証拠もまた存しないので、被告は訴外奥村正雄が本件土地を賃借するにあたり原告との間にした前示特約を承継したものといわねばならない。なお、<証拠>によれば、本件土地の使用に関して昭和三三年二月頃原被告間において紛争があつたが、同年同月一一日原告は被告の本件土地についての賃借権を承認するとともに、被告が右同日より向う六か月間に限り本件建物の増改築をすることを承認することになり、原被告間で同日付の契約書(甲第六号証)を作成したことが認められ、右の事実によれば、被告は少なくとも昭和三三年二月一一日頃には本件土地上の家屋につき増改築をするに際しては原告の承諾を得なければならないものであることを認識したと推認すべきである。

二被告が昭和三七年九月頃原告の承諾を得て本件土地上にある井戸にその上屋として屋根を取りつけたこと、およびその後これを改造してその四方に壁をつけ内装を施して風呂を設備し、これを浴室に改築したことは当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すると、被告が右浴室を作つたのは、およそ昭和四〇年春頃であつたものと認められる。しかして、<証拠>によると、被告が右井戸の上屋の屋根だけを作つた後、これを改造して前示のごとき浴室に改築することについては原告の承諾を得ないでその工事をしたことが認められる。被告本人尋問の結果のなかには、右改築については被告の依頼した弁護士を通じて原告の承諾を得た旨供述する部分があるが、該部分は伝聞であるのみならず、前示各証拠と対比するときはにわかにこれを信用することができないし、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

また被告が昭和四〇年五月頃本件建物の二階の物干場に隣接した場所に原告の承諾を得ることなく増築工事を行ないこれを完成したことは当事者間に争いがない。しかして、被告のした右増築工事の規模程度について案ずるに、<証拠>によると、右増築にかかる工作物は、本件建物の二階に設置された干竿四本を掲げるに足る程度の物干場とほぼ同高同大の一室であり、右物干場に接してこれと同平面に床を張り、その四方の角に四本の柱を立て、上面は半透明の波形合成樹脂板をもつて片流れに覆い、外側面二方を不透明の右樹脂板をもつて囲い、その一方に窓をつけ、他の二側面のうち一方を本屋に接して出入の用に供し、他方の物干場に接する部分には三枚のガラス戸を設けた程度のものであること、右室内には電灯の認備があり、該室を麻雀貸席として利用していることが認められ、以上の認定を動かすに足る証拠はない。しかして、右の事実によれば、右増築工事によつて作られた部分は、著しく簡易な構造ではあるけれども、なお本件建物と一体をなして居住使用の用に供しうる定着した工作物であると認めるべきである。

三原告が昭和四〇年六月二一日付の書面をもつて、被告の前記無断増改築は、増改築禁止および解除の特約に該当するとし、それを理由として本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたところ、右意思表示が翌二二日被告に到達したことは当事者間に争いがない。

ところで、前示のごとき被告の浴場改築および二階の増築はそれぞれ本件土地のうえに現存する工作物の改築増築に該当すると解され、しかも被告が右工事を行うにつきいずれも賃貸人たる原告の書面による承諾を得ていないのであるから、右工事はそれぞれ前に認定した本件賃貸借契約における特約条項たる増改築禁止に該当するものと解される。しかし、本件賃貸借契約には右特約違反の事実があれば直ちに、すなわち相当の期間を定めて履行の催告をすることを要しないで右契約を解除しうる旨の特約のあつたことが認められないのであるから、該特約の存在を前提とする原告の右主張は失当たるを免がれない。

四よつて進んで予備的主張について審案するに、原告が昭和四〇年五月一九日付の書面で被告に対し特約違反の前示改築にかかる浴場および二階に付置した増築部分を該書面到達の日より一か月以内に撤去し原状に回復すべき旨を催告したところ、右書面が翌二一日被告に到達したが、被告が右催告に応じないまま一か月の期間を徒過したこと、原告が右催告につき被告の履行がなかつたことを事由として昭和四〇年六月二二日被告に到達の書面で本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたことは、いずれも当事者間に争いがない。

そこで右契約解除の意思表示が果たして有効であるか否かについて検討する。

1  原告はまず、本件賃貸借には「賃借人が借地上の建物の増改築をする場合には必ず賃貸人の書面による承諾を必要とする」との特約があつたところ、被告が本件土地上の建物を増改築するにつき書面による承諾を得ていないと主張し、その事実が認められること前示のとおりである。右のように建物増改築禁止の特約があり、その承諾のあつたことにつき必ず書面を必要とするとしたのは、将来無用の紛争の生ずるのを予防することを目的とするものであると認められるが、その趣旨とするところは、原告の承諾のあつた事実は必ず書面をもつて立証することを要し、他の証拠方法による立証を許さないことを意味するのであつて、いわゆる証拠制限契約に該当するものとみられる。このように係争事実の確定方法について特定の証拠方法を提出することに限定し、それだけによつて事実の証明をすべきであるとする当事者間の合意が有効であるかについては争いの存するところであるが、職権証拠調が原則的に許されない現行民事訴訟制度のもとにあつては、弁論主義が適用され当事者の自由処分が許される事項に限り、裁判所の自由心証主義に抵触しない範囲でこれを許容しても何ら妨げないから、その限度において右合意も適法かつ有効と解するを相当とするところ、原被告が前示のごとき特約をすることは当事者の自由処分に委ねられる事項であり、しかも右特約それ自体によつて裁判所の自由心証が制約されることもないため、前示特約はこれを有効と解すべきである。

2  つぎに被告が本件賃貸借契約における特約に反し、原告の書面による承諾を得ないで借地上の本件建物に増改築工事をしたことは前に説示したところであるが、かような場合においても右増改築が借地人の土地の通常の利用上相当であり、土地賃貸人に著しい影響を及ぼさないため賃貸人に対する信頼関係を破壊するおそれがあると認めるに足りないときは、賃貸人が前記特約にもとづき解除権を行使することは、継続的契約関係における信義則にかんがみ、許されないと解するのが相当である(最高裁判所昭和四一年四月二一日第一小法廷判決、民集二〇巻四号七二〇頁参照)。それで以下これを本件について審案する。≪中略≫

してみれば、被告の本件増改築にもかかわらず、原告はこれを事由として本件賃貸借契約を解除することは許されないため、原告のした前示契約解除の意思表示は、結局その効果を生じなかつたものというほかはない。

五よつて原告の本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく、理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用は敗訴当事者たる原告に負担させることとし、主文のとおり判決する。(岡垣 学)

(別紙) 物件目録および添付図面≪省略≫

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